シャロンという犬

 
 郊外から都会への引越しのため飼えなくなり、「保健所へ連れて行くのは可哀そう。この手
で殺すべきか・・・」 兄が考えあぐねていたドーベルマンのシャロンが、四年前、我が家にや
ってきた。短毛犬で、軽井沢には向かないことはわかっていたが、もともとはドイツの犬、寒
いところは平気だろう。我が家得意の楽観的な考えで飼うことに決めた。

 十二月軽井沢に着いたとたん、クシャミの連続。血統書付き、警察犬訓練校で優秀な成績
を納めていたというシャロンも、ここの寒さにはまいったようだ。クッション、クッション・・・・。
廊下に毛布を敷いてのもてなしも、シャロンには辛かったらしい。その年はひどく痩せた。
もともとスリムな犬だけに、まるで骨の標本のようになってしまったシャロン。当時の我が家は
慢性金欠病で、自分たちの食べる肉さえ買い控えていたが、シャロンには気を使った。

 ところが、大決心で買い与える肉も、大きな口であっという間の丸飲み。もっと味わって食べ
てくれれば・・・と何度思ったことか。春の狂犬病予防注射の時、猫でお世話になっている例
の医者が、「ヒデーなー。これは・・・もっとがっちりさせなくちゃ!」 注射の後、ボロ車の中に
シャロンを乗せるとなんとも情けなかった。「よし!今度の注射までに、肉うんと食わして象の
ようにしてみせる!」 毎日散歩をかかさず、「バカ、バカ」と言いながらもこまごまと世話をし
て可愛がっていた主人の怒ったこと、怒ったこと。その甲斐あって、次の注射では 「よく太っ
たなあ。あの時はフィラリアにでもやられているかと思って心配したよ。」医者に努力を認めら
れ、得意げな主人だった。

 シャロンを連れ、主人は毎日散歩に出かけた。軽井沢の冬の朝の寒さは本物だ。降った雪
が積もり、人に踏まれることのない場所は、そのまま凍って固まってしまう。まっしろな畑の上
をドロが歩くが、積もった雪の表面は落ちこまない。ドロは忍者のごとく雪の上をそのまま歩
いていく。娘が小さかった頃もこの忍術をやってのけた。体重の軽さには自信のある私も挑
戦してみたがだめ。ズボッと地表まで落ち、あわてて周りを見回し、自分の馬鹿さ加減に苦笑
してみた。そんな寒い朝、シャロンと主人が山へ向けて出発する。張り切っているのは主人、
家を振り返り、振り返り、行きたくなさそうなのがシャロン。散歩途中立ち止まって、家の方を
見ながら歩くこともあったそうだ。「今日はあいつ、冷たかったらしくて足をなめなめ歩いてい
たよ。」 娘のセーターを着せてみたり、布団をかけてみたり・・・。それでも年が経つにつれ、
ここの気候ぬも慣れ、庭の特製小屋で元気に過ごしていた。しかし、過保護が仇になったの
か、シャロンは死んでしまった。

 三月の末、冬も終わろうかという頃、私の父が亡くなった。東京の父の病気で付き添ってい
た私は、我が家唯一の運転手。遠出には必ず車に乗せ、行動を共にしていたのが今回はで
きず、主人は大鍋いっぱいの水とエサを地面に埋め込み、娘たちを連れて東京にとんでき
た。大型犬で怖い犬、というイメージがあり、他人に頼むのも気がひけ、たっぷりの水とエサ
で頑張っていてほしいと願ったのである。

 ところが、父の葬式が歴史に残るほどの大雪に見舞われ日が延びたこともあり、数日たっ
て一人とんで帰った主人は、私道に積もったあまりの雪にぼうぜんとした。雪を掻き分け小屋
に着くと、中で丸くなって死んでいるシャロンを見つけた。この犬、小屋の中のワラや敷物を
全て外に出す癖があり、毎晩主人がていねいに入れてやっていたとのこと。寒ければ自分で
引き入れる、ということを知らなかったのだ。

 冷たい板一枚の上で死んだシャロンは、以前エサを貰っていた父の番犬として逝ったので
あろうか。主人は買ってきた駅弁を自分で食べずに供えてやり、大型犬ゆえ他人の土地に埋
めることもはばかられ、今度買う山林にシャロンを眠らせた。
 自分たちの土地を・・・。何年も前から望んでいたが、シャロンは一番乗りをした。父の葬式
から帰り、家族皆でシャロンの眠る栗の大木の前で手を合わせた。 その後、我が家にシャ
ロンの写真が父の写真の隣に置かれ、天気の良い日は二枚そろって日光浴もしている。

                     1987年 夏
 

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