しあわせ



 「天国って何いろなの?」ある日テレビを見ていたら出てきたこの言葉。養護施設の十歳く
らいの男の子が女の人にポツリと言ったことでした。

 高校三年になっても、将来の見通しがまったくなく、勉強にもまるで興味の無かった私はそ
のたった一言に魅かれ、社会福祉の施設で働く道を選びました。天国が何色か本気で考えら
れるようなそんな世界で働きたかったのです。東京都保母学院に学びました。

 「福祉とは、しあわせ、ということです」 「絵画制作の指導は、技術を教えるのではなく、描く
こと、作ることの楽しさを伝えることなんだよ」 「体育のできない人はいない。誰もがたのしむ
ことができる」 私はその学校で先生がたから素晴らしいことをたくさん学びました。その後、
第一志望の児童相談所で二年間働きましたが、社会経験豊かな学齢児の指導などとても自
信が無く、幼児と共に過ごしました。親にダンボール箱に便器とともにくくりつけられ、何日か
過ごした四歳の女の子は、真っ黒な絵を描きました。飯場で殺人現場を見てきたという五歳
の男の子は、あどけない顔で「せんせえ、ハツジンってさあ、なあに?」 母親に家出された、
二歳の男の子の顔には父親にかじられた生傷があったし「おとうさんてやさしくてね、いろん
な女のひとに指輪買ってあげるのよ」 得意気に話す六歳の女の子はとてもしっかりしていた
っけ。社会のぎりぎりの部分から救いあげられた子供たちとの生きた付き合いでした。
 
 私が織りを始めたのはその頃です。見たこともない夢のようなものを、羽衣のようなものを
作ってみたかったのです。
 
 保護者がいれば警察からの注意ですむのに、親に見放された子供たちが問題を起こすと、
教護院や少年院へと送られてゆく。その中の生活の大変さは仲間の保母が教えてくれまし
た。経験豊かな保母さんから 「あの子達、親のしてきたようにすることが多いのよ。男の子
は悪さすればすぐ浮き上がるけど、女の子は潜んでしまい、わからなくなってしまう・・・。」
そんな話を淋しく聞かせていただいたこともありました。

 高校生の頃、私は精薄の人達の働く箱工場で、旅行費用が欲しくて働いたことがありまし
た。昼食時、大きなアルミのお弁当箱をニコニコ開けるおじさんは、おしょうゆのかかった御
飯だけのお弁当。母の作ってくれたお弁当を、私は隠すようにして食べました。私は、そのお
じさんが、またもくもくと働くのを見て、心がしめりました。それでもそのおじさんの表情が明る
かったこと!幸せそうだったこと! 何もできない自分のはがゆさに、ずいぶん苦しんだ時 
「君の苦しみも、足の無い人の苦しみも、自分と戦うという意味では同じだと思う。自分の上に
大きな木があったとき、邪魔だとも思えるし、木陰をありがたく使おうと思うこともできる。」
恩師のそんな言葉に、そのときは救われました。

 今、二人の娘を持ち、社会の福祉(しあわせ)を思うとき、いろいろな人が共存していること
を知り合い、認め合うことが大切になってきているように思えてなりません。自分たちに近い
周りだけの幸せが、本当に嬉しいことなのかどうか。自分の満足だけで幸せを見つけること
はできないと思うようになりました。

 自分に火の粉が当たらなければ熱くはないのですが、気付かぬうちに燃えてしまっていたな
どという不幸を何とか食い止められないものか、そんな事が時折、頭をかすめます。

                    1987年 夏

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