我が家ができた

 
 六十一年十一月、地主さんから土地の権利を頂いてすぐのこと、家族四人でその山林に出
かけていった。チェーンソーで木を切り倒す主人、長い鎌で下刈りをする私。整地をするとい
うのに、なぜか読みかけの本を持って後に続く娘二人。日の短い時期で、店の仕事を終えた
後の作業のため、一日に2.3時間。それでも4・5日もするとどうにかいばらだけの林が、土
地らしくなった。大きな木は、なるべく切らずに残しておき、「さあ、どこに家を造ろうか。」

 家といっても私たちは返すあてのない借金が嫌い。家のためのローンなど考える気持ちが
まったく無かった。ほんの少々のお金で、雨風をしのぐには・・・。
工事現場で使うプレハブに木の板をはりつけよう。何軒かプレハブ屋さんに相談をもちかけ、
一番安く見積もってくださった方にお願いした。土台と外壁は消毒済み、乾燥度良、コスト良、
ということで電柱を使うことに決定した。
 
 建物の設置以外は夫婦二人でしよう、と言っていたが土地はもと山林、大きな切り株はさす
がの主人も、スコップ一丁で動かせる物ではない。土台も、もし曲がってしまうと後が大変。
残念がる主人を説得し、切り株と土台作りを業者さんにお願いした。

 まず、土地を見てから見積もりをしていただくことになった。その日はみごとな秋晴れとな
り、私たちは二人で地面に立っていた。そこへ業者の方が来た来た。一人かと思えば五人
も!相談のつもりであったのに、横の連絡が悪かったとみえ、その方たちは土台作りにやっ
てきたという。ボコボコと残された切り株を目にした群馬の職人さんは、「いったいどこに土台
作るんだ」 とため息混じりにおっしゃる。峠を越えて、材木を積んで連ねて走ってきたトラック
をそのまま追い返すには、あまりにもったいない天気であった。大人七人いたずらっこのよう
な顔つきであたりを見回す。 「オイ、いいもんがあるぜ。」 そのうちの一人が数十メートル
離れたところに置きっぱなしの大きなユンボーを見つけた。それを走って見に行く人。

 「アリャ〇〇土木のもんだ。後から断るからあれでやろうや。」 「カギも付いてる。ガソリンも
ある。」 トントン拍子にもうひとつトンが付き、私は近所の人に磁石を借りに走る。どこが南
かもまだはっきりと知らない状態であった。皆が知恵を絞りあう中、職人さんはひっくりかえり
そうになりながらも、上手にユンボーをあやつり、大きな木の根を右から左から、掘り起こして
ゆく。 ふんだんな薪で暖を取り、お茶を沸かす私。職人さんの中にすっかり混じりこみ、どこ
にいるのかもわからない主人。忙しい一日が笑いの中で終わり、なんと、その日のうちに
二十坪ほどの土台が出来上がった。あまりの速さにびっくりして駆けつけたプレハブ屋さんも
足並みを揃えてくださり、そんな調子で屋根が出来上がったのも数日後。

 あっという間に職人さんの姿が消え、真新しいプレハブの前に夫婦たった二人になってしま
った。ストーブを焚きながらの床張りは子供も喜んで参加した。水道の溝堀りは主人の仕事。
大工さんのように口に針を含む主人を、おどかして飲み込んでしまわないように気を配り、二
人で脚立に乗ったりおりたり叩いたり。予定外の玄関を造ったために、東方の外壁のぶんの
板が足りなくなってしまったが、「お正月にはここにおいでよ。」と、母に大ぶろしきを広げてし
まったおかげで、十二月には何人でも入れる体育館のような家が出来上がった。
 長方形のワンルーム、収納所無し。「今度また、ゆっくり造ろうね。」私たち二人はそんな気
持ちでいる。

 ドーベルマンのシャロン亡き後、貰われてきた白い雑種の犬アラックと、同居を始めて九年
になる猫ドロと、畑の中から林の中へと生活の場所が変わった。
 お客様がみえると、全てが一度に見えるのでちょっと困ることを除いては、どこにいても温
度の変わらないこの家は、一年経って、なかなか住み心地がよく満足している。

                      1988年 夏
 

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