凪野(なぎの)一歳

 
 凪野。静かな野原にあこがれて、三人目の子供が女の子だったら・・・とずいぶん前から準
備していたこの名前は、残念ながら娘につけることはできなかった。「やだー、そんな名前」
娘たちは正直に言うが、この名を貰ったのが我が家のオス羊である。 

 昨年の六月二日、隣町で生まれた羊は、縁あって我が家に貰われてきた。きれいに洗い、
ふわふわの可愛らしさに、おとなしさが加わってて、頭が極端に悪いことを除いては、申し分
のないナギちゃんであった。

 この小さなナギは、いつも犬と共に主人に散歩に連れて行ってもらい、帰りに我が家の台
所から見える植林されたまだ若い木にくくりつけられ、草を食んでいた。朝食の片付けをしな
がら見える遠くの愛らしい羊。豊かな気持ちで洗い物の手を休めると、ダッダッダダダダ・・・
ヘリコプターの音が近づいてきた。かなり低空飛行らしく、だんだんと凄まじいものになり、ナ
ギの上をちょうど通過するころには、少し大げさに言えば、人の顔が見えるほどであった。
東京の大会社の社長さんが、我が家の近くに時々ヘリコプターで着陸なさる。

 その大きな音にナギは驚いた。驚いて、一目散に我が家に向かって走り出した。なんと、つ
ながれていたはずのカラ松をひっこぬき、ひきずりながら農道を走り抜けてくる。
「ちょっとー、エツオさん!ねえちょっと!」 大声で叫ぶとどこからともなく駆けつけてくれた主
人は、笑うやら驚くやら。困り顔で、せっかく植えられていたカラ松をスコップ片手に植え戻し
に行った。小さなナギを生まれて初めて驚かせたものは、ヘリコプターであった。

 あの頃からちょうど一年がたった。放牧用の、長い先のとがった鉄棒を買い求め、野原に
差し込みつないでおくが、力がついて、飽きると自分で家に帰ってきてしまう。あのカラ松と同
じように、今では鉄棒をガラガラと引きずってくる。可愛がって面倒をみていても、ほとんどと
言っていいほど家族に馴れない。主人のことは一目置いているようだが、私と娘はなめられ
ており、一時は発情期のためか特にひどかった。 娘は追いかけられて逃げ回るし、つなが
れていても助走をつけてかかってくる。石のように固い額がナギの武器で、エサをやりに行く
私にまで攻撃をしかけてくる。固いおでこにぶつけられてはたまらない。

 「ふわっと一号」の工事が一段落し、ようやく生傷のなくなった私は、今度はバカ息子の家庭
内暴力で青アザが絶えなくなった。怒っても犬や猫のように分かってもらえない。
一番良い子は猫のドロ、その次が犬のアラック、どうしようもないナギは、ひどい時には私を
全く近寄らせてくれなかった。「こらっ!痛いね!いつか食べちゃうぞ!」 そんな脅しも通じな
い。その、大きくなったナギと雑種権アラックの散歩。重くて頑固なナギと、放したら帰ってこな
い身軽なアラック。主人は一計を案じ、散歩の途中でナギの綱とアラックの鎖をつないだそう
だ。 「面白いんだぜ。アラックが走るとナギが踏ん張り、オレはらくちん。」 そのジグザグ行
進を残念ながら私はまだ見たことがない。
 
 そのナギが今年の長雨でおかしくなった。ずっと一週間もぼーっと立っていたが、その後一
週間、今度は座ったきり立てなくなった。エサの量もどんどん減り、熱を出し、獣医さんに来て
いただくと、「気管支炎」とのこと。ペニシリン注射をしてくださったが、ちょうどその頃、めった
に起こさない喘息の軽い発作で次女が苦しんでいた。娘はすぐに治ったが、ナギはその後、
ハエの集団に襲われるようになった。ハエを追う元気もないナギに種の保存の場所として選
ばれたナギの体。 「アイツ、ハエに食い殺されてしまうよ」 主人と私は、今度はハエと戦っ
た。 「ああゆう弱いものを集団で襲う、オレはほんとうにショックだ」 そういう主人の怒りは
普通でない。昔子供の頃、バケツを持って公民館に並び、ハエ殺しの牛乳のような薬をもらっ
たことがあったが、あの懐かしいにおいの薬を獣医さんにいただき、今我が家はナギを守る
ため、憎きギンバエと戦っている。汚れたモップのようになったナギも日に日に鳴き声も出る
ようになり、頑張っている。

                        1988年 夏

(このナギは、その秋、かわいそうなことに、集団の野犬に、真昼間襲われ、死んでしまいま
した。役場に電話すると、すぐ、野犬達は毒殺され、複雑な思いでその死体を見ました。)
      


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