コロッケ


 昔、ご飯のおかずが 「今日もコロッケ、明日もコロッケ・・・・。」と、ちょっと愚痴めいた歌が
あった。30年程前、確かひとつ5円で、どこのお肉屋さんにもその店の味があった。その日
のおかずはその日に買い、10円玉ひとつが駄菓子屋さんではいろいろに楽しめた。

 さて、主夫宣言をした我が家の主は、夏、夜遅く店から帰る私と、中学生だった娘達のため
に、自分の仕事と並行しながら毎晩おいしいおかずを用意てくれていた。なんといっても、し
ばらくぶりに畑仕事を始めた主人の料理には、必ず自作の野菜がまぶしく並ぶのが嬉しい。
ある時期には毎日ズッキーニが、連れ合いを変え、煮込まれ炒められ、ある時期には菜っ葉
のおひたしのような実だくさんの味噌汁。そして、一粒づつ数えながら食べるほどに愛おしさ
を感じさせるフランクフルトほどの小さなとうもろこしも顔を見せた。
 町から林に帰る私にとって、どれもこれもおいしく、昨年はあの暑さにもかかわらず、夏バテ
をせずにすごすことができた。

 9月末のある日、いつものように 「帰れコール」 が店にかかってきた。毎日欠かさずかか
る電話は、長女からであったり次女からであったり、また主人からであったりその日によって
違っていた。
 その日は主人のはずんだ声であった。「今日はコロッケですョ。楽しみにね!」コロッケか・・
ジャガイモをゆでてつぶして、お肉を炒めてたまねぎを炒めて・・・・。数ある料理の中でも私
にとっては面倒で、できれば避けたいメニューであるが、主人は 『ジャガイモがあるから・・』
という単純な事実の中で、いとも簡単に作りにかかる。とは言っても主人がコロッケを作るの
は初めてである。きれいに出来上がったコロッケが、野菜とともに真っ白なお皿に並べられ
私を待っている。はしゃぐ気持ちをおさえ、安全運転でソロリソロリと車をころがし我が家の扉
を開けた。

 エプロンをつけた次女と必死の形相の主人が、テーブルの上をおもちゃ箱をひっくり返した
ようにいっぱいのものを広げた光景がまず私の目に飛び込んできた。テーブルの中央に黒
いおはぎのようなものがあり 「?」 よく見ると、コロッケにつけられたパン粉が、油で揚げら
れる前からもう真っ黒なのである。
 「大変だったんだぜ。パン粉がなくて作ろうとしたら、パンが柔らかすぎておろし金でおろせ
なくて・・・。だから焼いたらこげちゃって・・・。」 続いて次女の言葉が続く。「おかあさん、大変
だったの。」 困り顔の次女の前には、黒いパン粉をつける前のかたまりがまだたくさん残っ
ていた。私は笑いたい気持ちをおさえ、努めて冷静に助け舟を出した。 「ねえ、ミキサー持っ
てきてごらん。パンを入れて、スイッチオン!」 
 なんのことだかわからないまま、従順に母親の言うことに従った次女は、 「ああー!すごー
い。」 その声にコロッケから背を向けようとした主人がふり返った。 「なるほどねー。」 父
娘の料理は続行され、月見団子のように積み上げられたきつね色のコロッケが大皿に盛ら
れた。ずっしりと置かれたそのうちのいくつかは冷凍庫へと運ばれた。
 
 もともと食の細い私は、ふたつも食べればもう満足。あとは、皆の楽しそうな顔をおかずに
その日の話に花が咲く。
 「ののみ(次女)とオレで作ったんだぜ。まおり(長女)、こいつはなんにもしないんだぜ。ただ
いるだけ。4時頃、まずののみがいも掘って、洗って皮むいて・・・。」 
 「えっ?おいも掘るところから始まったの?」 なんというコロッケ!私は置きかけた箸をもう
一度持ち直し、みっつめのコロッケに手を伸ばした。
 作る手伝いからは逃げていた長女も、「おいしい、おいしい。」 とお皿の山を崩していた。
「作る人あり、食べる人あり、幸せね!」 私は、ばつの悪そうな長女のかたを持った。その
日のお茶碗を洗ったのが、たぶん長女であったと思うが、その日以来、我が家の食卓に、手
作りコロッケはまだ登場していない。
        
                   (平成3年 夏)

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