十一月の末になると、例年なら雪が降っても不思議は無いのだが、今年はここ二・三日雨
が続き、ついに台風28号がやってきた。期待はずれのこの雨に、泣いているのは我が家の
主人と次女である。
我々一家が数年前、かやぶき農家を出て林の中の生活に入ったその年、二十坪の長方形
のプレハブを建てた。「飯場のプレハブよ。」 人に説明する時にわかりやすく私は言う。
コンパネ(厚いベニア)で少しだけしきりをつけたが、一家四人のプライバシーを守る空間は、
お風呂とトイレだけであった。
そんな時、「私の部屋が欲しい。」 と主張したのが、その時小学三年生だった次女である。
トイレへ行くのも怖がる長女に比べ、次女は独立心が強い。
「ののちゃん、材料買ってあげるから自分で造れば?」 私はそんなふうに逃げてしまったが
「いつか造ろうな。」 主人は同意した。広告の裏に図面を描いて、ベッドを描いて、机の上に
はぬいぐるみまで描いた絵を、次女は何枚描いただろう。
次の年になって母屋に面した二坪ほどの地面に 『のの の部屋』 と書いた線が棒切れで
引かれた。それを見た主人が、家の基礎となる電柱を埋めるための点を九つ打った。待って
ましたとばかりに、次女はその九ヶ所に穴を掘りはじめた。我が家が出来上がるのを自分の
目で見ていた次女は、その店を深く掘らねばならにことを知っていた。学校から帰ると、小さ
なシャベルを持って家造りに励む次女の姿が何日か続いたが、固くしまった土に閉口した次
女は、ついにバケツに水を張り、自分の掘った穴の水を差し入れては土をほぐし、それこそ
何日もかかって九つの穴を造った。「ままごと遊び」 と思って見ていた主人も最後にとどめの
掘りに参加し、九本の電柱が埋められた。地面からニョッキリと突き出した九つの電柱に、次
女は「私の部屋」 が少し見えたようであった。
主人も私も自分の仕事が忙しく、それに加えて変わり行く旧道に不安を持った私たちは、九
本の電柱をそのままに、八角形の工房造りに取り掛かった。カンナや電ノコに囲まれ毎日動
き回る両親に 「私の部屋は?」と言う次女の声は全くかき消されてしまった。
そして工房完成。店の引越し、移転。電柱が立ってから三年経って、再び次女の「私の部
屋は?」病が始まった。「ひまになったらな。今度もうかったらな。」 何度も聞いたこの言葉に
家中、きっと猫まで耳にタコができたことと思う。というのも、あまり主人にうるさく言うので、
「ドロに言いな。」 とその場をとりつくろったことが何度かあったから。 「ねえ、お父さん、ゆ
びきりしよう!ゆびきりげんまん針千本・・・。」 それは無理。いつしか長女も私も次女の応
援を始めた。「針は一本だって飲めやしない。」 「そうだ、じゃあお父さんの髪の毛切っちゃ
おう!」
「そうだ、そうだ。」 「雪が降るまでにできなかったらみんなで切っちゃおう!」
平成二年十月、「雪が降るまでに」という難しい約束をした主人が今度は本気になった。
次の日から次女とふたりの部屋造りが始まった。学校から帰ると作業服に着替える次女は、
ずいぶんいろいろな仕事をしたようだったが、工房建築の時と違い私は楽しい傍観者。材料
の買出しの手伝いはしたが、あとは旧道の店から「ねぇ、どう?もうできた?」無責任なもので
ある。「無理しないでね、気をつけてね。ところでどう? もうできた?」
そして一週間。壁ができ、真っ白なペンキが塗られ、屋根が上がるともう次女は次々と自分
の荷物を運び込み、ベッドができあがると床も張ってないのに布団を持ち込み、あこがれの
「自分の部屋」にひたりはじめた。敷かれた布団をよけながらの床張り、床を汚しながらのタ
ンスのペンキの塗りなおし。手順はどんどん逆になったが、四畳半ほどの床面積につくりつけ
のベッド。南向きの窓二つと東側の窓一つ。そして西側に空気口までできた。
主人が 「朝鮮漬けに入れるから。」と買っておいた真っ赤な 「タカノツメ」がリボンで結ば
れ、真っ白な壁に「悪魔払い」だといって飾られた。 「ねぇ・・・。エツオさん、ののみの部屋造
ったの!」電話で母に報告すると 「すごい!ところで窓ある?」小さく心配する祖母心。「ある
よ、三つも!」と主人を大声で誉める私。
「不破さん、もっとおおざっぱに造ると思ったけどずいぶんきれいですね。」とは工房建築に
参加してくださったM君。子供部屋作りを手伝って下さるとおっしゃっていたTさんにスーパー
でお会いした時にはもう出来上がっていた。 「器用なのね。」 「いえ、お金が無いから。」
様々な話と共に、次女の部屋は独立した家中の誰からもうらやましがられる空間になった。
しかし、このしばらくぶりの雨に泣かされた。南の窓に面して、室内に花置きのための長い
棚が造られている。その棚のところにお気に入りのペパーミントグリーンのスチール机が置
いてあるのだが、朝起きるとその机がびっしょりなのである。机の上のかわいい小物も一緒
になってぬれている。 「おとうさーん!」「チキショー、なんだこれ!でも直すから。」そして屋
根に上がって直す。また次の日 「おとうさーん!」「おかしいな、わかった、あそこだ。」そして
次の雨降りが今回である。
朝起きるとぬれていた、という今までと違い、朝起きると大雨が続いていた。南側の窓の桟
一面に、水滴たちが落ちようと横一列に並んでいる。「ポッタン、ポッタン」の雨もりは、バケツ
や鍋で処置したことがあるが、この横一列の雨もりにはいったい何が? 「おい、なんか細長
ーい缶かなんかないかな?」花器では足りず、プランターには穴がある。仕方なく、いただき
物のクッキーを中から出して、細長い缶を三つ用意した。「これ最高!」北から南にはすにか
かったトタン屋根は天気の良い日に張り替えられることになった。そして本日は台風。
「屋根が飛んだらどうしよう!」心配顔の娘に「はがす手間がはぶけていいじゃない。」とな
ぐさめる私。大きな雨音の中で夜半目を覚ました私たちは、それほどたまらなかった缶に期
待をうらぎられた。 「雨の流れが強すぎて、中に落ちるゆとりがないんだよきっと。」 「みー
んなまっすぐ地面に落ちちゃうんだね!」
季節外れの長雨に、その都度鳴き声で主人を呼ぶ次女。雑巾を持って飛び込む主人。
私はびっしょりになった雑巾を窓の外にしぼりながら、この二人のためにトタンを張り替える
晴れ日を二日、空に願った。
1991年 夏
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