猫 ドロ

 
 迷ってきたからそのまま飼い始めた我が家の猫も、同居をしてから十二年になる。 
この猫は、職も持たずに脱都会をしてきた四人の家族の前に、ある日突然現れた。それまで
の私達は、軽井沢に来て周囲を知ること意外、何もできずに過ごしていたのだ。というのも、
私達がここに来たのは「来たかったから。」という単純な動機に従っただけで、職もない。家も
ない。することさえもない。そんな始まりであったのだから・・・。
 保母をしようかと役場へもでかけ、無理と知ると夫婦で職安へもでかけてみた。今まで作っ
てあった皮の小物を持って売り込みにもでかけてみたが、私達夫婦そろって何がイヤと言っ
て自分のものを売り込むこと程イヤなことは無かった。材料も買えず、端皮をいじくりまわして
マスコット人形を作ってみたり、牛の形にくりぬいた皮を白と黒に塗りわけてホルスタインのキ
ーホルダーを作り、浅間牧場に置かせていただいたこともあったが、結局いまだに回収にも
行っていない。

 千円のお金が重かったその頃、茶と黒がブチブチに混じったこの大人とも子猫ともいえぬ
猫が現れた。春先、雨上がりの庭で「ニャーニャー」と鳴きながら水溜りのドロ水をなめてい
た。鳴いてはこちらをチラと見て、ピチャピチャなめてはチラリと見て・・・。その猫を「ドロ」と呼
び、牛乳を与え娘たちのペットとなったその日、ある方の紹介である喫茶店を訪ねた。コーヒ
ーに野沢菜漬けをそえて気持ちよく対応してくださり、そのご主人が我が家の小物達を気に
入ってくださった。あるだけのものを皆そのまま買ってくださり、どんどん作るよう励ましの言
葉さえいただいた。軽井沢で初めて手に入れたお金は、なんとなくドロと結びついて、未だに
時々「この猫は我が家の守り神ではないか。」と思うのである。死んでしまったり、逃げてしま
ったりで、犬のアラックは我が家にとって三匹目の犬だが、このドロは、一度「三途の川」を渡
りかけながらも未だに元気である。

 六年ほど前、家の前で交通事故にあった事がある。隣に住む家主のおばさんから店に電
話が入った。「あんた、猛スピードの車が走ってきたと同時に 『ギャー!』 すごい声がした
よ。そのままキャベツ畑にころがっていった。あれはドロだよ。」 すぐ店を閉め、探し回った。
キャベツ畑の中でうずくまるドロを主人が拾い上げ、そのまま病院へ運んだ。顔に傷があり腰
の立たないドロは 「尾をひかれ、振り向きざまに顔を強打した。今日がやまで、持つかどう
か。」 というのがお医者様の診断であった。「どうせだめなら連れて帰ろう」と入院させずに
連れ帰った。「あんた、この猫、子供たちの身代わりになってくれたのかもしれないよ。大事に
しな。」隣のおばさんはそうおっしゃられると、本当にそんな気がした。

 腰の立たぬドロに、主人特製の革の首輪と胴輪をつけ、引き綱をつけて柱に結び投薬をし
ながら、いつ消えるともないドロの命を気にかけて三日。ところが四日目、店から帰るとドロは
綱ごと消えていた。「綱がどこかに絡みついて動けないのではないかしら。」そんな心配は言
葉にとても出せなかった。やるだけやった思いを口にし、ドロを忘れようとした。

 ところがそれから何日かたったある日、ドロが縁の下の土の上に腹ばいに寝ているのを娘
が見つけた。どうしたわけか、引き綱も首輪も胴輪もすっかり無くして現れた。裸一貫戻った
ドロは、なみだ目の後遺症は残ったが、もとと同様狩りの上手な猫として復帰した。車にひか
れたしっぽが半分垂れ下がり、二ヶ月ほどして自慢の長いしっぽは半分の長さになってしまっ
た。「おかあさん、私覚えてるよ、朝起きたらドロとしっぽが別々になっててびっくりしたこと。」
今でも次女が言う。 

 今、林の中でドロはますます元気であるが、十二年の年月はやはり年齢を感じさせるように
なった。木に登り、つめを研ぎ、鳥を取り、ねずみを食べるが、冬の日はめっきりと老け込ん
でしまう。ヒーターの上、薪ストーブの下、コタツの中、と暖かさを求めて移動するが、移動時
で段差がある度に掛け声がかかる。「ゴロニャーン フニャーン」 黙って力を入れる事ができ
なくなってきたようだ。

 夜寝る間、私と長女と次女のベッドを次々と移動するのもこのドロの癖で、夜半に何度かこ
の「フニャーン」が家の中に響く。冷え込む明け方起きるものだから、今度はトイレに行きたく
て鳴く。誰かが扉を開けるまで声を張り上げて鳴く。安眠を妨害され、怒った主人は夕方寝よ
うとするドロの眠りを妨害する。ドロが体を丸めると、寝せまいと、邪魔をする主人。
どちらがどうか・・・。どちらにしても、冬は生活のにおいが漂う。「ドロはいいよな!全く、なに
もしなくていいんだから。ただ鳴いてメシ食って出すだけ・・・。」 「いいよねー面倒なことはき
っと何もないんだろうねえ。一日寝てたってそれでもいいし・・・。」そのくせ、こちらの調子がよ
い時は言う。 「かわいそうに。猫なんて、ニャーしか言えないし、おもしろいことも無さそうだ
し。」 「第一、自分が猫だってわかるんかなー。ただゴロゴロ言ってるだけで、つまんないだ
ろうねぇ。」 『ダメ!』『ドロ!』『おいで!』 この三つの言葉は分かっているであろうと期待を
しながら、言葉の分からぬ猫相手に、我が家家族四人、精神休養をさせてもらうことが多い。

 雪が溶け、黒土のにおいを嗅ぎ、外の空気の変化に敏感に反応し始め、いつも丸くしてい
た体が少し伸ばしかげんになった頃、湾岸戦争が終わり、主人も伸ばし放題にしていたひげ
を思い切りよくそり落とした。

                          1991年 夏
     

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