我が家の高校一年生

 
 「大変ですね。」 昨年我が家の娘の年齢を聞くと皆がそうおっしゃった。「受験でしょう?」 
「ええ、でも、ちっとも大変じゃないの、ほんと。」何度も繰り返されて、新しい年も明けた。

 我が家の長女は、一番家から近い高校に行き、テニスをすることをだいぶ以前から決めて
いた。幸いなことに、入学試験においても一番楽なようで、部活が終わる時期になると、受験
生という肩書きを持つ前よりも、のんびりおだやかに生活をするようになった。

 それまでの娘は、朝七時から部活のために出てゆき、夕方も部活で暗くなって帰り、入浴・
宿題とボンヤリする間のない暮らしぶりであった。ところが部活がなくなると、四時頃には家
に帰り、コタツにもぐってお菓子を食べる。暖まった体をそのままゆったりと横に伸ばし、私が
店から帰る夕方六時ともなると、すやすやと眠りの真っ只中。受験生の母としては、安らかな
娘の寝顔に苦笑。私もあまり勉強した覚えは無いが、その私でさえ口をあんぐり。
 「軽井沢でゆっくり子供を育てたい。」 そういった主人の思い入れに同意した私も、娘の体
にその思いがボッタリと入り込んだ姿を見ていると、あまり穏やかではいられない。
「テスト上手にならなくていいけれど、社会に出て困らない程度の事は学んでおかないと・・。」
と、ちょっと格好の良いことを言ってきてはみたものの、目の前の娘の姿に反省しきり・・・。
 
 それでも秋ごろになると本人も「参考書が欲しい。」と少し受験生らしくなった。待ってました
とばかりに買い与え、夜食でも作ってやろうかと「おかゆ作り器」まで買ってみた。 ところが、
夜食にお菓子を用意すると「まだ?まだ?」とそれが気になり勉強が手に付かない。 お菓子
を食べれば眠くなり、幸せの中で眠りにつく。「何のために?」 バカバカしくなって、夜食作り
はすぐ止めた。「おかゆ作り器」もとうとう一度も使わぬうちに部品が無くなってしまった。

 参考書は「見ても解らない。」 と言う。しかたなく私が見てみると、不思議なことにわかる。
「中学の時には、どうしたって分からなかったのに・・・。四十歳も近づけば、多少成長したの
かしら。」 もつれたひもがほどけるように理解ができ、参考書を見て勉強することに興味を
持ったのは、娘より私のほうであった。英語、数学、分かるところだけ少しづつ娘に説明して
みたが、夢中になるのは親ばかり・・・。飲みたがらぬ馬に水を飲ませようと、首の綱をしっか
り引いたつもりであったが、自分が水飲み場に落ち、アップアップ・・・。「お母さん、なんでそ
んなに勉強するの?」 冷たい、水をかけられた思いで目が覚めた。「そうだ、私がやればい
い。」 その結果、英語検定の中卒程度(三級)というのを娘と共に受けて、受かったのは私。
娘には残念賞としてキャラメルを一箱買ってやった。

 進路指導の三者面談で、担任の先生から「この高校なら、当日休まない限り合格します。」
と、それだけのご指導 「盲腸になったらどうでしょう?」 などとまことにくだらない質問をして
面接時間を埋めた。 「軽井沢が好きで来て、のびのび明るく育ってほしいと思ったら、本当
にそれだけになっちゃって・・・。」 とPTAの役員会の後雑談をしていると、離れたところから
男の方の声がした。「不破さん、それが一番!それでいいじゃない。」 ポン!とお尻をたた
かれた思いがした。「人生、一度や二度、苦労して勉強する必要はあると思う。」同年齢の子
を持つ親の言葉に大きく頷く私は、「勉強しないと、合格できないかもしれないよ、頑張ってや
りなさい。」と、娘に言ってみたかった。

 その後、無事高校生になった娘は、思い通りにテニス部に入った。その頃になると私のほう
も落ち着いていて「テニス上手も良いかもしれない。」と密かに思っていた。ところがテニス部
も、私が期待していた栄光の時代はもう過ぎた後。部員も少なく、きびしく指導をしてくださる
方もいない。毎日真っ暗になるまで部活をする娘は、以前にも増して明るく、高校が楽しくて
たまらない様子である。 「あんまり私が言わなかったから、高い目標を持たず、努力しない
子になって・・・。」 と私が嘆いたら 「私は娘に言い過ぎて後悔してるの。どうせ後悔するなら
ば、あなた、言わないで後悔する方がずっと良い。」 と言ってくださった方もいた。

 今まで見たことも無い成績をとって、少し喜んでみたものの「この高校では、最上位のクラス
でも、普通に大学を受けてもたぶん無理だと思います。」 家庭訪問の時、先生がそうおっし
ゃった。「おかあさん、この学校を良くするにはただ一つ、生徒の全とっかえしかないよ。」
カラカラという娘だが、私はその学校の先生方が好きだ。
 「他人のメシを食わなきゃ、こいつはダメだ。」 と主人が言い始めた頃、娘が「アルバイトを
したい。」と持ちかけた。母親らしい、くどい注意をいくつも受けて、娘は旧道の喫茶店でアル
バイトを始めた。 
 どこに出しても恥ずかしくない、という言葉があるが、私にとって娘は、どこに出すにも恥ず
かしい。バイト先が近所にも関わらず、ご挨拶にも行かなかった。「おかあさん、『不破さんの
娘さんね。』って言われたよ。」 そうなってしまえば仕方が無い。意を決して出かけていった。

 「今まで、いろんな高校生が来たけど、今時珍しく、まっすぐに育っているって感じです。なん
でも一生懸命で、よく気が利いて・・・。」 私は耳を疑い、ずっと下を向いていたが、 「まおち
ゃんは、本当に良くやってくれる。」 娘の名前が出たとたん、顔を上げた。
奥様もご主人も暖かそうな方たちで、本当に周囲に恵まれた娘だとあらためて実感した。

 林の中から学校へ、街灯もないような一本道4キロを、自転車で通い続ける娘に、刺激が無
さ過ぎたことを悔いてもみたが、それなりに成長したことを、他人の目を通して初めて感じさ
せていただくことができた。 高校を卒業しても、どうしたいのか全くわからない、という娘も、
自分の家よりおいしい他人のメシを体験した。 

 親の目が届かぬところでの成長を、今後、楽しみにしている。

                        1992年 夏


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