おうち


 遊ぶ事が大好きな私は、幼い頃は近所の友達と青空の下でゴザを敷き、葉っぱをちょん切
っておうちごっこに明け暮れていたが、小学校中学校にもなると、一人でおうちを作って遊ん
でいた。とは言っても、そのおうちは私になついたノラ猫のためのもので、当時自宅に一本だ
けあった ヒノキの大木のまわりにリンゴ箱と新聞紙を組み合わせたしろもの。とてもおうちと
は呼べるものではなかったが、ノミだらけで痩せこけて、それでも子猫をぽろぽろと産むその
三毛猫は、私が体を丸めて入って見せると自分でも入ってきて、何日かそこで暮らしてくれた
ようだった。

 そして、三十歳を過ぎた頃、雨風しのげれば・・・と主人と作ったおうち。
小屋というのも申し訳ないほど手間のかからないもので、今でもそのおどけた面白さがとても
気に入っている。それにしてもその寝ぐらの心地よさは、戸を開ければ全てが見渡せる安心
感に支えられているようだ。
 
 その後数年前に建てたのが我々にとって超大作。八角形の工房である。住む家なら四角
のほうが絶対、と信じているのだが、その建物は人の寄る仕事場。そして主人の店であり決
して家ではない。ただ、人に聞かれると『あのおうち』と言ってしまうのは、造る過程が私にとっ
ておままごとそのものであったように思ったからかもしれない。

 三月のお節句も終わったのにやけに寒い先日、高一の娘の将来の進路先を見に行こうと
いうことで、思い立って東京へ行った。 「専門学校へ行きたい。」 という娘だが、私の全く知
らない分野のため、いろいろ見て歩こうと実行に移したのである。 是非とも東京へ出たい、
と言う娘の希望に沿って『東京周辺有名専門学校案内』という名前の長い本を二人で見つ
け、昨年買っておいた。
 
 先ず、私の古巣の中野。そして新宿、渋谷。それぞれの学校の学生さん、事務所の方々。
校風がいろいろで、良し悪しはよくわからなかったがとてもおもしろかった。若い学生さんの
集団を見ると、私はその熱気の中の自分がなんとなく不自然で恥ずかしくなってしまったし、
娘は娘でその雰囲気に圧倒されていたようで、お互い手こそつないではいなかったが救いを
求め合っていたようだ。 決して広いとは言えない東京の隅から隅まで、実に様々なものが頑
張って座っている。ゆっくりと光景を見ながら歩くのは久しぶりで感動の連続であったが、そ
の中でも最も心に残ったのは新宿でのことである。
 
 目的の学校は「駅の真ん前です。」と二度も電話で説明をしていただいているのに、方向感
覚ゼロを自認する私と、あこがれの東京で緊張しきった娘にはどうしても見つからない。
地下から地上へ、また地下へ・・・駅に戻ったり地下道を歩き回ったり・・・。迷子の真っ最中、
新しく開いたらしい地下道の大きな銀色の柱に、ダンボールの山がてんてんと置かれている
のが目に入っていた。 どうにかその近くて遠い駅前の学校にたどり着き、ご親切な説明を受
けたあと、また地下道に戻っていた。
 目的をやっと果たした後。ゆとりを持ってそのダンボールを見ると、どうもそのひとつひとつ
が『おうち』らしい。 というのが、その頃その中から起き始めた住人がそれぞれにおうちを片
付けて、一日の始まりの準備をしているところに出あったのだ。 どうしてそんなにダンボール
があるのか、行きがけにはちょっと気になっただけであったが、帰りにはその謎が解けた。

 改めて見るとそれらのダンボールはだいたいが1・5メートルから2メートル位で、大きめの物
もあれば細長い物もある。いくつものダンボールをひもでつなぎ、丁寧に入り口も造られてい
る物もある。おうちの中には一面に毛布が敷かれ、身の回りの物が全て納められている様子
である。 毎日毎日組み立てては片付けているのであろう。今年はお雛様さえ面倒がって出
さなかった私は反省しきり・・・。それにしてもあまりに良くできているので、つい近づいて見と
れてしまい何度か娘に袖をひっぱられた。 「おかあさん!行こう!はやく! でも、ちゃんと
みんな場所決まってるのかなあ、新しく来たら『今度新しく来た〇〇です。』とか言うのかな
あ?」 そんな娘の疑問はそのまま私自身の疑問でもあった。
 ひとつの柱ごとにひとつのおうち。その中にひとりづつきっちり横になっているであろう姿を
思い浮かべ、「良くできたおうちだ。」としばらく私の頭から離れなかった。
 いつも友達に会う時間もほとんど取らぬほど落ち着けない東京が好きではなかったが、今
回はとても楽しかった。

 「専門的な仕事をするのにどうして暗記式テストで人が計れるでしょうか。これから伸びよう
としている人間を育てるのが目標の当学院では、やる気があって集まってくる人に対し試験
は必要ありません。」 堂々とおっしゃった先生もいらしたが、私はまだ娘たちに言い続けて
いる。「今のうちに、いっぱい勉強しておきなね!」

                     1993年 夏

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