サンタが消えた日


 クリスマスにはプレゼントをもらうもの、という習慣が我が家の娘たちにもついている。   
軽井沢にやってきて、思い出しても笑いたくなるほど貧しかった頃、二人の赤ん坊にそれでも
何かプレゼントを・・・と思ったのがことの始まりである。お正月も近いし、パジャマの新しいの
を着せてやりたくて、可愛らしいパジャマにお菓子入りブーツ(クリスマス用の)を付けて娘た
ちの枕元に置いておいた。 
 次の日、目をさました娘たちは本当に不思議そうな顔をして新しいパジャマを見つめ、ブーツ
の中のお菓子に大喜びであった。保育園に来るサンタさんは園長先生であることを知ってい
たようだが、我が家のサンタはクリスマスだけのものと信じていたようだ。 小学校になると、
まわりの子供たちはもうほとんどサンタクロースなど信じてはいないようであったが、我が家
ではその頃、フィンランドのサンタクロースから一通の手紙が届くよう主人が細工をしておい
た。かやぶき屋根の家に届いたサンタからの手紙を見た娘たちは、特に変な顔もせず単純
に喜んでいた。

 毎年毎年、クリスマスの時期になるとプレゼントの広告が新聞にたくさん入ってくるが、我が
家のサンタはいつもひたすらパジャマとお菓子入りブーツを運んできた。ピンクの好きな上の
娘にはピンクのリボンをかけ、ペパーミントグリーンの好きな下の娘にはグリーンのリボンを
かけた紙包み。寒い冬のために、チョッキ付きパジャマであったり、つなぎ風のパジャマであ
ったり、いつも暖かそうなパジャマを娘たちは受け取っていた。
 「わあ サンタさん!今年は何かなあ?あっパジャマだ!」その都度うれしそうな顔をする二
人が「どうしていつも同じなの?」と一度も言わなかったのをいいことに、今年十四枚目をサン
タから受け取るはずであった。「ねえ、サンタさんなんていないよね。」と私が言っても、「エー
ー?いるんだよ。『サンタさんサンタさん、クリスマスブーツとパジャマをくださいね。』」 空を
向いて次女が言う。サンタがいない。という言葉を発するのがどうしてもイヤなようであった。
 
 十二月も二十日を過ぎた頃、私と主人と二人でスーパーへ行ったが、いろいろ迷う私と違
い主人がさっさと決めた。「マオのはこれ、ノノのはこれ。」 ピンクとペパーミントグリーンのパ
ジャマを指差し、私がサイズを決めた。赤ちゃんの時のの、まるでぬいぐるみのようだったパ
ジャマを両手でそっと抱えた昔と違い、今は堂々大人用のLサイズ。二着のパジャマにそれぞ
れお菓子入りブーツをつけて、ピンクとグリーンのリボンをお願いする。
 店の若い男の店員さんはアルバイトで、なんと上の娘の同級生。保育園の時の仲良しさん
であったが、彼は今私を知ってか知らずか知らん顔。 複雑な包みを一生懸命かたちにして
くれた。
 例年通り、車の中にプレゼントを隠したままクリスマスイブの夜を迎えたが、その晩は私も
主人もほろ酔い加減で、娘たちよりも早く寝てしまった。夜明け近くになって夢の中で「あっ!
サンタさん忘れた!」と思ったものの、暖かな布団から寒い外へ出て行く勇気もなく、また眠っ
てしまった。早朝、主人がガタゴトと音をたてながら車へ行って戻ってきたのがわかり一安
心。

 「ねえ、サンタさん来た?」 しらじらしくも、目をこすりこすり起きてきた娘に尋ねてみると
「朝、お父さんが枕元に置いたのわかったよ。」 「ガサガサ 車に取りに行ったの知ってた
よ。」 娘たちが高校一年と中学二年になったクリスマスの朝、我が家からサンタが消えた。

                      1993年 夏

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