M・フェルナンデス君

 
 年の瀬も押し迫った十二月二十七日の夜、私は、あまり記憶に無い生まれ故郷の島根に
いた。祖母の葬式に参列するためであった。「あんたが赤ちゃんのとき知ってるよ。マア大き
くなって!」しばらくぶりに大きくなったことを驚かれた。
 最近、子育てをしながらつくづく子供というものは親だけのものではなく、長い長い先祖の血
を引き継いでたまたまこの世にあるのではないかと思うようになっていたため、祖母に別れを
告げるときにも、久しぶりに父の墓前に立った時にも不思議と悲しみよりも感謝の気持ちが
強かった。
 
 葬儀の後、飛行機嫌いの私は帰宅のため寝台列車に乗り込んだ。夜行列車は思いのほ
か空席が多く、ほとんどがひとますに一人。私も、四人用寝台の下段にただ一人。ゆうゆうと
足を伸ばし、ちょっと飽きかけた駅弁をつつき、旅路に必ず買う女性週刊誌を手に、薄暗い
外と見比べながらくつろいだひとときを過ごした。顔を覚えてしまえるほどしかいない同乗者と
あいさつをするでもなく、八時を過ぎるとカーテンでぐるりとベッドを囲み、もう一つの旅の友
『一合冷酒』 を少しづつ飲みながらいつの間にか眠ってしまった。

 「ここよ、ここ!ここだからね!いい?だいじょうぶ?気をつけて行くのよ。」 「ハハハハ だ
いじょうぶ アリガトウ ハハハハ。」 なんとも大きくけたたましい男女の会話で目が覚めた。
 「寝台車は男女を分けて欲しいな。」 以前主人に訴えた事があったが、私のとなりはどうや
ら言葉つきからちょっと不思議な男性。真っ暗闇の中で貴重品をしっかり確かめ抱え込み、
息を殺して動かずにいたが、そのうちまた眠ってしまった。
 
 いつの間にか時が過ぎ、懐かしさを感じる朝のチャイムに起こされた。「ただいまから、朝
の車内放送を再開いたします。」 ぼんやりと目を開けカーテンを引くと、隣のベッドの前には
格好のよいウエスタンブーツがきちんとそろえて置いてあった。
 
 洗顔を済ませ、シーツをたたみ椅子に座っていると、前のベッドから目を覚まし、くしゃくしゃ
の顔を出したのは外人の青年。夜中の妙に不思議な会話の謎がそこでいっきに解けた。た
またま通りがかった車内販売のコーヒーを頼んだ私に続いて彼もコーヒーを欲しがっていた
が、日本語が全く分からない様子である。通り過ぎようとした販売員を呼び止め、彼にコーヒ
ーを売るように説明した事がきっかけになり、二人の会話が始まった。 「昨日はどこから乗
ったの?」 と聞いても首を振るばかり。「Can You Speak English?」 と言ってみても首を振る
ばかり。そこであきらめてしまってもつまらない。身振り手振りの必死の会話が始まった。「き
のう しゃちょうさん おくさん・・・。」 「私は島根から東京へ・・・。」 軽井沢まで行く説明はあ
まりにも面倒で、そこで話は終わる予定であったが不思議と話ははずんでしまった。

 彼のお母さんは亡くなり、ボリビアから福知山の社長を頼りに日本に入り、その紹介で新小
岩に就職が決まり、今そこへ行く途中であるという。四人の兄弟がいて二人はすでに日本で
働いていると言う。来年の十二月にボリビアから恋人を呼び、皆で日本で暮らしたいと言う。
彼は日本人三世だという。どこまで話がきちんと通じたか、今思い返すとあまり自信がないの
だが、途中彼は大事そうに身分証明書と手帳の中を見せてくれた。
 その手帳の中には 「僕の名前は望月フェルナンデス君です。何かありましたらご連絡くだ
さい。」 社長の奥さんが書いてくださったのだろう。その文の下には福知山の住所が書かれ
てあった。軽井沢あたりでも、最近外人の物売り(路上や店の軒下で)を見かけるが、ああい
うタイプの方たちとはずいぶん違った雰囲気を持つフェルナンデス君が、無事目的地に着け
るよう幸運を祈っていると、突然声の調子を変えて言った。 
 「ボク ニウニ アナタハ?」 ニウニ・・・? だってノートにフェルナンデスって書いてあった
じゃない。心の中で不思議に思っていると、また「ボク ニウニ アナタハ?」 と繰り返す。
「わたし かずこ」 と言おうと思ったが、何故私の名前など聞くのか急に恥ずかしくなってしま
い黙っていると、また「ボク ニウニ・・・」 とはじまる。「ニウニって、あなたはフェルナンデス
君でしょ?」 「ハイ ボク フェルナンデス ニウニ。」 ハッと気がついた私は、先の恥ずかし
さなどすっかり忘れて大きな声で言った。「私 三十九!」 ありったけの指をフルに使い説明
したが、今度は彼が私を不思議そうに見つめた。「私 三十九!」 私としてみれば、あと数
日で終わる三十代を思い切りアピールしたつもりであったが、二十二の彼にとってはただ、信
じられないというよう落胆に近い気持ちであったようである。もう一度念を押した。「私は三十
九で子供が二人いるの。」 「アナタ ベイビイ イル?」 「もう私より大きいのよ。」 体中を
使った会話がそこでプツンと切れた。
 沈黙が続き、二人で大声で話したことが急に恥ずかしくなった。気が付けば他の席からは
話し声一つ聞こえない。間をおいて彼が言った。「ニホン キレイネ フクチヤマモ トウキョウ
モ・・・。」 「きれい?」 「ソウ キレイ。」 

 いつの間にか東京に着き「気をつけてね。」 と声をかけたが、それも解らない。「Good 
Luck!」 と思わず言ったが、それにも首をかしげ 「グラッチェ!」 とひと言残し、彼は東京
の人ごみの中に消えていった。

 十代の頃一人旅が好きで、今回のような出会いをたびたび経験したものだが、軽井沢への
帰路、フェルナンデス君のことを思い出しながら 「それでもあの時少し年をごまかしてみても
良かったかな?」 と悪いことを考えた。でも、五歳ごまかして三十五でもさまにならないし、ま
さか 「二十歳よ」 とはいくらなんでも言えはしない。山手線の中で一人にやにやしながら、
三十代最後の楽しいひとときを作ってくれたフェルナンデス君の幸運を心から祈った。

                     1993年 夏

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