昨年六月、主人がモンゴルへ行き、手紡ぎをする私のためにカシミアの原毛(糸にする前
のフワフワの毛のかたまり) を買ってくれた。しかし出国の際ストップされ、残念ながら日本
に来る事ができなかった。それでも初秋、友人のおかげで回り道をしながらも私の手元にや
ってきた。羊の毛にはクリンプという天然のウェーブがあり、紡ごうとする時にうまく絡んでくれ
る。しかし、綿、アルパカ、カシミヤにはそれが無い。糸車を回し、手で紡ごうとすると繊維が
すっすっと抜けてゆく。
モンゴルのカシミアが手に入りそうだと知った時から、私は性質の似ている綿の紡ぎ練習に
取り組んだ。決して小さくは無い紡ぎ車を、店へ、家へと移動しながら、綿の繊維をどうにか
糸にする事ができるようになった。綿に細くよりをかけ、かけたもの同士をまた反対に絡めあ
う。一本の糸を作るのに、三度紡ぎ車を通ることになる。一日紡いでも量は知れている。
しかしその風合いにほれこんで、セーター一着分の綿糸を仕上げる事ができた。 「ねえね
え、さわってみて!」来てくださるお客様にさわっていただき、自己満足も頂点に達した頃、そ
の練習効果を試すべくカシミアに取り掛かった。
同じまっすぐな繊維だから・・・と期待していたにもかかわらず、綿とカシミアは全く違った。
油分の少ない綿を紡げるようになったものの、カシミアの油分はどうにも粘るのである。自転
車に乗って、急ブレーキをかけた時のようにスピードがつまるのだ。安価な綿で準備をしてお
いた私の期待は見事にうらぎられた。カシミアの紡ぎの練習は、やはりカシミアでしなければ
いけなかった。『苦心して糸を紡ぎ続けた。』というのがこの冬の私であった。
糸になったカシミアを眺め、どんな色で染めてどんなものを作ろうか、ずいぶん思いをめぐ
らせてみたが、どこから眺めてみても使用中の痛みがひどそうである。「最高のぜいたくよ。」
と前置きし、動きの多い長女にマフラーを編んでやり、モニターになってもらった。
軽井沢の冬、手紡ぎ・手編みのカシミアマフラーをして登下校していたが、私の仕事に普段
ほとんど興味を示さない長女がある時言った。「おかあさん、これって気持ちいいね。おかあ
さんがどうしてその仕事好きか、少しわかる気がする。」 そのひと言で、私はモンゴルのカシ
ミアに充分感謝する事ができた。 糸が少しづつたまってゆくが、未だに製品はほとんど無
い。セーターにしてみたが、毛玉、洗濯など不安でいっぱいである。
先日、沖縄から来て下さった娘さんが芭蕉布の話をしてくださった。「昔、沖縄の織り子さん
で、綿とか麻が高価で手に入らなかった人が、自分用に芭蕉の繊維を紡いで織ったのが芭
蕉布なんですけど、今ではずいぶん高級なものになっちゃって・・・。でもあれは、着たまま立
っているならいいんですけど、立ったり座ったりしていると、どんどん上がってきちゃうんです
よ。パリッと固いかんじで・・・。」 おっしゃる光景がそのまま目に浮かんだ。使用しながら活動
的に振舞えない洋服が私の店でも時々顔をのぞかせる。 柔らかな繊維は長女の制服にくっ
つき、マフラーに毛玉もできていたようだったが、今高校生になった次女が言う。「おかあさ
ん、ノノにもマオみたいな高級マフラー作ってくれる?」 「うん、いいよ!」
あこがれのカシミアだったが、『カシミアカシミア』 と頑張った分だけ、良くも悪くもいろいろと
教えてくれた。
1994年 夏
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