軽井沢


 私たちが軽井沢にやってきて、早十八年目を過ごしている。語りつくせぬ程いろいろなこと
があり、頭の中がいっぱいになるほどのたくさんの方々に出会い、思い出せぬほど多くの物
を作り出し、思いもよらぬほど大勢のお客様が、私たちの作ったものを買ってくださった。

 無一文に近かった私たちが、今こうして自分たちの土地を持ち、粗末ながらも雨風しのげる
家に住む事ができていることが、時々不思議にさえ思える。木のたくさん生えた庭に立ち、ふ
と、足元の土を見たときなどその思いが強まる。
 思いもよらぬきっかけで店をはじめ、続けられる限りやっていこうと一生懸命やってきたが、
旧道の店の大家さんがバブルの大きなシャボン玉と共にはじけ、私達の前から消えたとき、
私も、一足先に自分の土地で商売を始めた主人の後を追う決心をした。十六年の間、皆様
のおかげで順調に伸びてきた店を辞めることは、私にとって、とても勇気のいることであった
が、がむしゃらだった自分に終止符を打つ良いきっかけができたと思うことにした。

 赤ん坊だった娘達も大きくなり、長女は昨年から私たちのもとを巣立った。次女もそのうち
巣立っていくことを思えば、これからの自分たちの生き方を考えてもみたかった。
 家を借り、店を借り、土地を買い、家を建て、工房を建てた。いつもお金が足りず大変で、
自分のしていることに実感が持てないでいた。店に通ったり家や工房を造ったり、薪を片付け
たり遊んだり・・・。毎日が忙しく、軽井沢を楽しむゆとりがさっぱり無くなってしまったように思
えていた。正直なところ、ここ二・三年お金にも困らなくなった。普通、ここから貯えの時期に
なるのだろうが、お金よりもっと楽しいことが見つけられそうで、平成六年十二月、天気の良
い日に突然レンタカーのトラックを運転し、店を引き払った。

 そのあとどうなったか・・・。 私はすっかりリラックスしてしまい三キロも太ってしまい、珍しく
ポヤポヤと時を過ごしている。主人の八角形の工房を雄とすると、今、私の店、雌を建築中。
新しい『霧下織工房』ができたあかつきには・・・庭を片付けてお花を植えて・・・。染め場もあ
るここで、今までできなかった仕事を思い切りやってみたい。夢は果てしなく広がってゆく。
 旧軽井沢の店を辞めたとき、私は自分に卒業証書を渡したが、ふんわりした軽井沢を実感
するための入学許可証も同時にしっかり手渡しておいた。

                     そして一年・・・
 
 新しい私の店が、苦労の末昨年出来上がった。五月の連休に間に合う予定が間に合わ
ず、七月末にようやくセーフ・・・。この小冊子も発行することができなかった。いつものように
アラアラ ラララ。考える暇もなく 『新霧下織工房』 がスタートして約一年。
 というわけで、書き始めてからそうとう日があいてしまった。

                      ・・・・・・・・・

 今、軽井沢に住んでいることを本当に堪能している・・・。十八年我慢していた花育て、見て
見ぬふり(というより頭で見ていて体で見ていないという感じかな?)をしていた木々の芽吹
き、飼い犬の表情、様々なところで働く人々の様子。みんなやわらかく私に伝わってくる。

 ここ数年、道路の発展とともに軽井沢は大きく変わった。十数年前、夏になると風流なおじ
さまがたが、お妾さんらしき人を連れ、よく店を訪ねてくださった。夜、街を散歩なさる年配の
かたの品の良さに思わず見とれてしまうことも多かった。そんなはなやかさも八月だけ。
九月になると、どんなに天気が良くてもだあれもいなかった。若いカップルも家族連れも・・。
そんな当時のことは懐かしい思い出。
 最近では、別荘の方達も水道設備などを冬季使用できるようになさって、年間をとおして少
しずついらしている。別荘地に囲まれた我が家だが、犬の散歩で見かけるそれらの庭の美し
いこと。
 昔の別荘は、『苔むした庭を常駐の管理人が見守る。』 といった感じであったが、今は、持
ち主の方が自ら花を植え、柵を作り、手入れをなさっている。いかにも小市民の別荘という感
じのものが増え、花盛りには、各々の地で働いていらっしゃるのであろう。残念ながら持ち主
はいらっしゃらないことが多いみごとに咲いた留守番の花たちに、つい声をかけてあげたくな
る。

 都会から軽井沢に引っ越して来られる方も増え、冬、スーパーマーケットで出会う顔も以前
とはだいぶ変わってきた。この新しい軽井沢で、これからも楽しく生きてゆきたいと思う。

                        1996年 夏


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