もっか私のライバルは


 旧軽井沢で二軒の店を借り、それぞれ営業していた私たちは、バブルの最盛期、世の中の
様子に不安を持ち、我が家の敷地に店を建てることにした。当時私たちの店のお客様であっ
た若い設計士のKさんにお願いし、八角形の予想以上のすばらしい建物が素人の手で出来
上がり、主人の店になった。
 そして今回は私も旧道の店での営業が不安になってきた。私の知らぬまに店の名義が変
わっていたり、大家さんが行方不明になってみたり・・・。

 毎日毎日ファックスで届けられる細かい設計図を覗き込みながら大きな材木と格闘し、夫
婦大工をしたことを思い出し、「今度もKさんに・・・」 と思いお願いすることにした。 主人の
店の時の予算は五百万円。今回は、なんと二百万円。予算が少ないので、母屋と同様、プレ
ハブに板を張って造ろうかと思ったが、なかなか納得できるものがなく、百万円で買えるであ
ろうたくさんの材木を想像し、やはり手間をかけ、自分たちで造ることにした。 「もしもし、Kさ
ん?不破です。和子ですけど、今度私の店を造ろうと思うの。安くって重くなくって早くできる
のがいいんだけど。」 「またやるんですか?嬉しいな。」 Kさんは、笑って承諾してくださっ
た。彼が喜んでくれたのは、彼が、楽しいことを大切になさる方だったからにほかならない。 

 Kさんは我が家に来てくださり、じっと残りの敷地を見つめ、計測し、東京に戻って行った。
その後届けられた設計図は、摩訶不思議なものだった。文字にすると、『すり鉢型の八角形
の真ん中が抜けていて、建物が浮いていて、一面がバルコニー。』真ん中が大きく抜けてい
るのは、どんぐりの大木があるから。庭の木を一本も切らずに、というKさんらしい発想で関
心させられたが、設計図を前にしても私にはさっぱりその建物が発想できなかった。
 私はどちらかと言うと、安定感があって単純なものを望んでいたが、主人の興味深そうな顔
を見て、同意した。 「ねえ、あなた、この設計図見てどんなものができるか解かる?」 「う
ん、わかるわかる。」どんな時でも超楽天的な主人の性格を時として忘れ、GOサインを出し
てしまう私。
 お客様を迎えるための店が一刻も早く欲しかった私は、決めるとすぐに何件かの材木屋さ
んを訪ね、一番安く上がりそうな店に発注することにした。主人の工房の時と同じ、まず基礎
に使うジャリを買いに行くところからはじめ、もちろん材木を刻むのも自分たち。
 今回は、鋭角が多く、支えのない建物、おまけに出来上がりがいまいち見えない。手伝って
くださると名乗りをあげてくださった方もいたが、危なくてお願いできなかった。 工事が進ん
でも形が見えてこない。一つの工程が終わると次はもっと難しく、その次はもっと難しい。座り
込んで泣き出したくなる私をよそに、黙々と作業を続ける主人。「あなたって偉いねえ。」 「や
らなきゃ終わらないじゃないか。」 やっていることが正しいのかどうかも不安になり、今回の
工事は本当に大変だった。Kさんの都合もあり、いろいろと予定通りにはいかなかったが、平
成七年七月にはどうにか店を開ける事ができた。『完成』というにはまだまだではあったのだ
が・・・。
 
 見たことも聞いたこともないユニークな建物に、せっせせっせと作品を並べ、シーズン中は
流れるようにお客様が入ってくださり、この不景気の中、売り上げもまあまあ。秋になりホッと
したと同時にいろいろな事が頭をよぎった。まず店に入ったお客様の六割がおっしゃる。「こ
の建物変わってますね。」 たいていはそれではおさまらない。「ご自分で造られたんです
か?どうなってるんですか?」 建物に圧倒されてしまう。不思議なことに以前からのお客様
の反応はだいぶ違う。「いいところに来られましたね。」「ゆっくりみせていただける。」 とおっ
しゃって、建物自体の印象はそれほど強烈ではないらしく、ゆっくりとくつろいでくださる。工事
で思うように作品作りができなかったにもかかわらず、並べられた物たちを興味深く見てくだ
さった。
 『そうか、初めて来てくださる方にとっては、私の作っているものより、建物の方がインパクト
が強いのか。』 今まで特定の師もライバルも意識したことのない私にとって、その気付きは
ショックだった。 Kさんが一生懸命設計してくださり、泣くほど大変な思いをして私たちが建て
た建物に、私の作品が負けている。創作意欲をかきたてるには充分すぎるほどの刺激には
なったものの、ションボリと肩を落とす私に、やさしい主人は言った。「そんなに難しいんなら
オレがいつでも変わってやるよ。」 店の交換を申し出てくれ、気持ちは大いに揺らいだが、
私もそう簡単に物事をあきらめるタイプではない。
 何年かかるか分からないが、きっと建物に負けない物で店の中を一杯にしてみよう!

     *そう思うのは事実だが、建物の手直しにまだ当分かかるのもまた事実。
                まだ忙しい日々が続きそうだ。*

                          1996年 夏

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